ボン教

度々、文章の中に出てくるボン教について簡単にですが説明します。ボン教チベット仏教が栄える以前、おおよそ紀元前15000年の古代よりチベット高原一帯に土着している祖霊信仰、アニミズム(山や川など自然界に存在するものには神が宿っていると信じ、それらを祀る)で、主に悪魔払いなどを中心としていた宗教と言われている。ボン教は大きく分けて古代ボン教(魔ボン、ツェン・ボン)と現在のボン教(ユンドゥン・ボン)に分けられ、現在のボン教(ユンドゥン・ボン)は更にドル・ボン、キャル・ボンおよびギェル・ボンの3期に分けられる。
また、ボン教では数字や図形を重要視しており、7と9はチベット人のシャーマンが多用する数字であった。最も吉祥な数字は9とされており、ボン教の神話では地界は内から9層になっており(九重地)、天界ははじめ9層あり(九重天)やがて13層に拡大するといわれている。ちなみに13は聖なる数字とされ、図形では卍は不滅を意味する重要なシンボル、△は完全な鎮圧を意味するといわれている。
ボン教と天珠の関係はまだわかってはいないが、天珠が宗教的に用いられたものだった場合、とても重要な手掛かりとなる。

1.古代ボン教(魔ボン、ツェン・ボン)
紀元前15000年頃からチベット高原一帯、および周辺にあった土着のアニミズム。殺生を伴う祭祀儀礼、つまり生贄を必要とする儀礼をおこなっていた。現在もチベット各地に残っているが、シェンラブ・ミボの教えにより生贄は動物模型などに代替されている。

2.ボン教(ユンドゥン・ボン)
 現在残存しているボン教で、シェンラブ・ミボが創立したもの。古代ボン教ゾロアスター教の影響を取り入れている(紀元前5世紀末頃に古代インドのバラモン神学を元に作られたともいわれている)。現在はチベット仏教ニンマ派に吸収され、受け継がれ続けている。

a.ドル・ボン期
 シェンラブ・ミボの教義で、経典のない時代。「神を敬うこと」「他者を祝福すること」「魔を鎮めること」が教えである。

b.キャル・ボン期
 吐蕃王国第八代王ティグン・ツェンポが殺され、その子孫は仇を討つためボン教徒を招く、西方から来たボン教徒は後に釈迦時代の「六師外道」を教義に取り入れる。

c.ギェル・ボン期
 紀元後8世紀後半、吐蕃王国ティソン・デツェン王により仏教の国教化がはじまり、これを不快に思ったボン教学者のジュイ・チャンチュが仏教経典を改変してボン教のものにしてしまう。ティソン・デツェン王はジュイ・チャンチュを殺害し、ボン教徒を強制的に仏教へ改宗させる。しかし、ボン教徒はチベット西部でボン教の教義を完成させていった。後にボン教の教義はチベット仏教ニンマ派に吸収され命運を保つことになる。

 ボン教の教義には二つの分類法があり、「四つの門と一つの宝典」と「ボン教の九乗」(ボン教の九つの道)という分類があり、「ボン教の九乗」は「原因の道(1〜4)」「結果の道(5〜8)」「乗り越えられぬ道(9)」(偉大なる完成の道)の三つに統合される。以下では「ボン教の九乗」の内容を紹介したい。

1.「予言の道」… 呪術や占星術などの儀式を扱う
2.「視覚世界の道」… 精神物理学の世界を扱う
3.「幻想の道」… 息災法における儀式の詳細を扱う
※息災法とは外的な災難、障害、煩悩および罪障などを除去すること。災害のないことを祈るもので、干ばつ、強風、洪水、地震、火事をはじめ個人的な苦難、煩悩も対象となる。
4.「存在の道」… 葬儀を執り行う
5.「平信徒の道」… 健全な生活を送るための十の原理を含む
6.「僧侶の道」… 修行者の戒律を説く
7.「原初の音の道」… 最高の天啓であるマンダラへの統合を説く
8.「原初のシェンの道」… 真のタントラの師を求めるための指導基準と、弟子を師に結び
つけておく精神的な責任を説く
9.「至高の教え」… 偉大なる完成の教えのみを論ずる

 これらは、「経典」「智恵の教えの完成」「タントラ」「知識」という4種類、200冊以上のボン教聖典で説かれており、他にも儀式、工芸美術、論理学、医学および物語を扱う経典があり、チベット仏教ニンマ派と密接なつながりがあるが、「知識」部門の宇宙論や宇宙進化論は独自のものである。
 「ボン教の九乗」の「九乗」とは9つの教えで、1から段階的に9まで教わっていくもの、つまり数字が小さいほど基本的な教えで、大きくなるほど内容が深い教えになると筆者は推測している。